俺は20歳の頃、遊び呆けてバカをやり、1000万円以上の借金を背負ってしまった。
自分ではどうすることもできない。
とは言っても、何とかしなければいけないのが現実。
後先考えずに行動してしまった自分の責任だ。
しかし、その頃の俺は改めようとは思わなかった。
まわりの人達は、
『なんでそんな借金負ったの!?バカじゃないの!!』
と、口をそろえて言う。
確かにそのとおりだ……と自分でも思う。
それを境に生活も性格も悪化。
数人の友人達には相談できたけど、
粋がってたあの頃の俺は、肝心の親には相談できてなかった。
家でも外でも喧嘩に明け暮れて最悪の状態。
いわゆる子供じみた現実逃避。そして、御門違いの八つ当たり。
そのうち、家を追い出され、友人の家に転々と居候生活。
次第にまわりの人間は離れてゆき孤独街道まっしぐら。
その頃付き合っていた彼女にも、当然愛想をつかされる。
帰る家も無く、金も無く、着る服もままならない。
仕事を探しても、連絡先の無い人間は雇ってもらえない。
借金取りからしか電話のこなかった携帯もすぐに使えなくなった。
もちろん借金も遅延料金加算のため増える一方。
この状態で、俺はどうしていけばいいのか……と悩む。
けれど悩めば悩むほど、する事なす事が空回りする。
日が経つにつれて、どんどん状況が悪くなっているのが自分でもわかった。
そんな時、無理だと思いながらも、寮の完備された職場に面接に行く。
仕事内容は、キャバクラのウェーター。
はっきり言って、今の自分の状況を考えれば無謀だとも思った。
しかし、どこをどう気に入られたのか採用。
それから数ヶ月後、やっと少しはマシな生活を送れるようになった。
が、借金はいくら返済しても減らない。
一日毎に遅延料金が加算されているのだから当然かも知れない。
それでも、前よりは気が楽だった。
働いてる限りは望みがある。
ところが、ある日……一本の電話が店に。借金取りからだった。
その日から、嫌がらせのように毎日2〜3回の割合で電話がくる。
『気にするな。どうせ今は払えないんだ。今度の給料の時に払うことだけ伝えておけ。』
と、事情を知ってる店長が言う。
俺も、そうするしかない事はわかっていた。
そこで、営業中は電話に出ないことにした。
何度話しても同じ。状況は変わらないからだ。
ところが、借金取りは店にまで来るようになった。
その度にある事無い事を従業員全員に吹き込んでいく。
ついに俺も店に居づらくなる。
結局、店長と話しをした結果、店を辞める事になってしまった。
その時、俺は思った。
『金を返すには働かなくちゃいけない!
でも、その働く環境を壊しに来ておいて“返せ”はないだろ!!』
正直、どうでもよくなった。もういい。
それから、また浮浪者のような毎日が始まった。
手持ちに多少のお金はあるけど、住む所はまた無くなった。
さすがにもう友人達に頼む事はできない。無理だ。
そこで、昼間は公園のベンチ等で休み、夜はコンビニ等で時間をつぶす。
もちろん寒さをしのぐ為である。
食事も、フランスパン1本で2日間もたせるなど信じられないような生活になってしまった。
風呂は?洗濯は?睡眠は?etc…。
今まで当たり前のようにしていた事が出来なくなる辛さを初めて知った。
働いて今の生活をせめて普通に戻したい……。
しかし、『きっとまた……』と不安になり、探す気も失せてしまう。
そんな生活が2ヶ月も続いてしまい、すでに身も心もボロボロ。
お金も、おにぎり1つ買えない状態にまでなっていた。
体中埃まみれで汚い風貌。
精神的にも極限まで追い詰められていた。
そんな姿をある日、偶然にも妹に見られてしまう。
無気力な俺の手を引っ張り家へと向かう妹。
恥ずかしかった。妹に対してだけじゃない……これから会う事になる母親に対してもだ。
家を追い出された俺が一体どんな顔で会えばいいんだ!?
と、頭の中でパニックを起こしているうちに家に着いたらしい。
しかし、そこは俺の知ってる家ではなかった。
母親は離婚して、妹と2人だけで暮らしていたのだ。
そう……俺の知らない間に。
そのためか、いろいろな意味で母親に会うのが怖くなった。
正直言って、この時の俺の頭の中は混乱していた。
俺が家に入り顔を合わせても親は何も言わなかった。とても気マズイ。
どう話しを切り出せばいいのかわからない。沈黙が続く……。
しかし、しばらくして親が、まるで今までの俺自身の状況を把握しているかのような口調で、
『一体、何をやってんのさ。
お前を家から出したのは、そんな姿を見たかったからじゃないんだよ。
男ならもうちょっと意地を持ちなさい。しっかりやんなさいよ。』
今の自分の状況からしても反論はできなかった。
『どうせ仕事もしてないんでしょ。家はどうしてんのさ。
普通の生活すら出来なくなった時くらい、何で親に相談しに来ないの。』
俺は『来れなかった』としか答えれなかった。
『今……家もこんな状態だから、お金の件はどうしてあげる事もできないけど、
他の事くらい助けてあげられるでしょ……。
みんな一緒に頑張ればいいでしょ……。』
いつも気の強い母親が泣いていた。
俺も泣いていた…。
小学生の時以来、親の前で見せる初めての涙だった。
この時、初めて親の前で素直になれたような気がした。
俺の第2の人生が、この日から始まったと言ってもおかしくはない。
自分の中で何かが変わった。
どんな事があっても、今度こそ諦めたくなかった。
そして、もうまわりの人達の期待を裏切りたくはなかった。
住む場所は、少しの間だけ実家の隅を借りる事になり、仕事も数日後見つかった。
順調に進んでいると思った。
しかし、ここで甘えたり安心したりすると、今までと同じ事の繰り返しになる。
体にも気持ちにも気合いを入れた。
そうして1年間頑張ってみた。
少しずつ自分の信用を取り戻し、気持ちにも多少の余裕が出てきていた。
仲間との交流も戻りつつあり、親も少しは安心してくれていた。
ちょうどその頃、俺は家を出ることを決意していた。
それからしばらくして俺は予定通り家を出た。
そして数ヶ月経過。
この頃の俺は、朝から夕方までは営業の仕事。
夕方から23時までは居酒屋のウェーター。
その後から朝6時まではラーメン屋のバイト。
と、3つの仕事をするようになっていた。睡眠時間は2〜3時間。
もちろん体調を崩す事もあった。その時は病院で点滴。
しかし、人間の体というのは不思議なもので、そういう生活でも慣れるようにできている。
おかげで支払いも順調。3年間で残り120万となった。
この頃から、俺は自分の夢を実現させたいと思うようになる。
でも、夢なんてそんな簡単に叶えられるものではない。
まだまだ先のこと。まずは自分の生活を取り戻さなくては。
そう思い、ただただ働き続ける毎日。
そして25歳を過ぎた頃、やっと借金返済終了。
約5年。
まわりの人達は、同情の念を込めて言う。
『無駄な時間を過ごしたね』
『バカやったね』
『ツライ思いしたね』
『お前の人生の汚点だな!』etc…と。
俺は無駄な時間を過ごしたのか!?
いや、無駄な時間なんかではなかった。
いい経験をしたと思っている。おかげで人間として成長できたから。
人生の汚点!?
そんな事は無い。
まわりの人達から見れば、確かに“汚点”かも知れない。
でも本人にしては“美点”にさえなる経験だった。
最悪の状態の中でも、何か得るものがあれば、
それだけで“美点”に変わるのではないか。と俺は思う。
少なくとも、あの経験があったから今の俺がある。
どん底に落ちてからでないと、自分の愚かさに気付かない人間だった俺が成長した。
自分の間違いに気付いた。
…だから、“汚点ではない”と俺は信じている。
【教訓】
どんなに悪い状態になってもあきらめない。
親・兄弟姉妹・友人・その他大勢の自分と関わる人達を大切にする。
どんなに間違った道を歩んでも、いくらでもやり直す事ができる。
夢は捨ててはいけない。自分の力を信じる。